世界遺産 A WORLD HERITAGE 高野山 町石道CHOUISHIMICHI

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静寂を宿す杉木立の中で
空海の足音に耳を澄ます。

高野山麓の九度山から金剛峯寺の根本大塔へと通じる町石道(ちょういしみち)。
その傍らに立ち並ぶ180基の石柱(町石)は、いにしえから多くの人々を聖域へと導いてきました。世界遺産にも登録されている歴史ある高野参詣道のひとつです。

静寂、祈り、そして光。空海はこの先に何を見たのだろう。
1200年間、歩みを止めない道がここにあります。

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コース案内

歩きやすく整備された、全長約22kmの参詣道。
180基の町石を目印に、歴史と眺望を気軽に楽しめるハイキングコースです。

聖域へと導く町石

町石とは、弘法大師空海が建てた卒塔婆に由来する五輪塔形の石柱で、ひとつひとつに根本大塔を起点とした数字と仏尊を
表す梵字が刻まれています。高野巡礼の人々は一町ごとに合掌して高野山への歩みを進めたと伝えられています。
慈尊院から根本大塔まで合計180基の町石が一町(=約109メートル)ごとに道標のように置かれています。

A 高野山町石道<180町踏破>モデルコース

健脚向き

約22km・6時間35分

モデルコースA

B 高野山町石道<短縮>モデルコース

一般向き

約9.9km・3時間

モデルコースB

MAP

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開創当時、高野山は女人禁制の聖域でした。空海は、慈尊院で暮らす母に会いに、月に9回はこの道を歩いて下山していたと言い伝えられています。
それが町石道登山のスタート地点でもある「九度山」という地名の由来ともされています。

詳細マップダウンロード

みどころ

2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された町石道。
高野山麓や道沿いには、弘法大師空海に由来する史跡や名刹が点在しています。

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    慈尊院(じそんいん)

    弘法大師が高野山開創の際に、年貢の徴収などの庶務を司る政所や宿泊所などを置く要所として開いたのが慈尊院です。弘法大師の母がわが子を慕ってここに住み、この地で亡くなったことから、弥勒堂が建立され、本尊の弥勒菩薩坐像が安置されました。女人禁制の高野に対して「女人高野」と呼ばれ、子授け、安産、育児、乳がん平癒などを願って乳房型の絵馬を奉納する女性が多く訪れます。

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    丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)

    “高野御子が狩人の姿で現れ、従えていた白・黒2頭の犬を放って、弘法大師を高野山へと導いた”という伝説があり、弘法大師が慈尊院を創建する際に鎮守として高野御子とその母である丹生都比売(にうつひめ)を祀ったのが丹生官省符神社の始まりだと伝えられています。

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    六本杉

    136町石のあたりにある分岐点で、丹生都比売神社へも通じています。かつては見事な杉木立が続いていたことが名前の由来と言われ、広場になっていることから休憩ポイントとしても活用されています。

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    二ツ鳥居

    横に並んでいる石の鳥居は珍しく、ここから天野の里の美しい田園風景が一望できます。丹生明神と高野明神の鳥居で弘法大師の建立と伝えられています。当初、木造のため改修を繰り返しましたが、1649年に現在の石造に改められました。

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    神田地蔵堂(こうだじぞうどう)

    その昔から神田の里は丹生都比売神社に米を献納してきました。里の一隅に建つ地蔵堂は、平安、鎌倉時代の高野参詣の人々の休憩場として存在し、お堂には、弘法大師、子安地蔵、後に応其上人も安置されました。悲恋物語のヒロイン、横笛(建礼門院の雑仕女)が高野山の僧滝口入道(平清盛の子である重盛の家来。本名斉藤時頼)に会うため、この地蔵堂で待ったと言い伝えられています。

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    笠木峠

    南海電鉄・上古沢駅とつながる分岐点。上古沢駅へ向かう途中には、険しい山間に民家が点在する笠木の集落に出ます。この集落は、慈尊院から高野山へ参詣する際の休息地だったといわれています。そのほか金剛山、弁天岳などの景色も見渡すことができます。
    ※上古沢駅へは急な坂道を登り降りする必要があります。

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    矢立・六地蔵

    焼き餅などで疲れを癒せる矢立茶屋を少し進むと、59町石の傍らに小さなお地蔵さま6体が並んでいます。六地蔵は、1体ずつが「六道(輪廻転生する6種の世界)のそれぞれの救済にあたっていると考えられているほか、旅人の安全を守っているとも言われています。

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    鏡石

    表面が鏡のように平らなことから鏡石と呼ばれています。この石の角に座って真言(しんごん)を唱えると、願いが成就すると言われています。町石道では、この鏡石のほか、袈裟掛石と押上石が弘法大師の伝承を伝える三石として知られています。

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    袈裟掛石(けさかけいし)

    弘法大師が袈裟を掛けたという伝説があり、この名で呼ばれています。また、鞍のような形をしているので「鞍掛石」とも、石と石の間をくぐると長生きをすると言い伝えられていることから「くぐり石」とも呼ばれています。

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    押上石(おしあげいし)

    弘法大師の母が女人禁制の高野山へ結界を越えて入山しようとしたとき、激しい雷雨が火の雨となったといいます。弘法大師はこの石を押し上げて、母をかくまったと伝えられ、この石を押し上げたときの両手の跡が残っていると言われています。

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    大門

    コース最後の急な坂を上りきると目前に現れる大門は、高野山の入口にそびえる朱塗りの総門。両脇には金剛力士像が安置されています。高さ25.1mの大門は一山の総門にふさわしく威風堂々とした門構えで、現在のものは1705年に再建されました。この付近は眺望もよく、四国や淡路の山々が見えることもあります。

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    根本大塔

    町石道の基点、根本大塔は、真言密教の根本道場のシンボルとして建てられました。高さ48.5mの朱塗りの多宝塔で、大塔内陣は曼荼羅の世界を立体的に表現しており、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した空海独自の立体曼荼羅となっています。

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    丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)

    杉木立の中に朱塗りの太鼓橋、楼門、本殿が美しく映えるコントラストが色鮮やかな「丹生都比売神社」。創建は、約1700年前と伝えられています。丹生都比売大神を祀る神社は全国に108社、摂末社を加えると180社余を数え、 丹生都比売神社は、その総本社です。

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    展望台(百六十五町石近く)

    慈尊院から町石道を進み、急な斜面を登っていくと、町石道から少し外れたところに展望台が整備されています。紀の川平野が一望でき、九度山の町や、高野山、金剛山、紀見峠などを望むことができる絶景ポイントは、和歌山「朝日・夕日百選」に選ばれています。

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    展望台(百六十五町石近く)

    町石道と高野山道路が交わるところに四十町石があります。ここから少し急な坂を上ったところにも展望台が整備されています。一息休憩するのに格好の場所で、竜門山や飯盛山が望めます。

アクセス

町石道登山のスタート地点・九度山駅へは、南海なんば駅から南海高野線で約60分。

マップ

路線図
※所要時間は目安です。

  • 高野山 黒河道 特設サイト
  • 高野参詣道 京大坂道 特設サイト
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