• 2023.12.26
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水間寺とは?歴史や行事、交通アクセスのまとめ

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水間寺は大阪府貝塚市にある、長い歴史を持つお寺です。本記事では、水間寺の歴史やアクセスだけでなく、「千本餅つき」や「節分法会」などの行事についてもご紹介します。

水間寺とは

 

水間寺は、厄除観音として広く親しまれている歴史の古いお寺です。奈良時代の僧侶である行基が創建したお寺で、新西国霊場第四番札所にも数えられています。本堂は天正13年(1585年)に豊臣秀吉の兵火で一度焼失しましたが、文化8年(1811年)に再建されました。

 

本尊は「厄除けの観音様」として信仰を集めています。毎年1月に行われる「千本餅つき」は、この観音様の出現を祝うお祭りで、行基が先導した十六童子と一緒に木の棒で餅をつき、お供えした様子を現在に伝えています。

水間寺創建の歴史

 

水間寺の創建には、観世音菩薩にまつわる「降臨の瀧」伝説があります。聖武天皇が病に伏せたとき、「奈良の都より西南の方角に観世音菩薩がご出現なされる。この観世音の尊像を都にお供をして信仰せよ」というお告げを受けました。

 

聖武天皇は、当時庶民から最も信頼されていた行基に仏像を探すよう依頼しました。この仏様を求めて奈良を出発した行基が西南に進み、たどり着いたのが水間寺のある場所だったのです。

 

そこには美しい水の流れる巨岩があり、白髪の老人が体の仏像を持っていました。そして「汝を待つこと久し」といって行基に仏像を手渡すと、老人は龍となって昇天した、とお寺の由来記に記されています。

 

行基に手渡されたのは、一寸八分(約6cm)の聖観世音菩薩。行基が天皇に仏像を献上したところ、天皇の病は見事に治りました。そこで聖武天皇は、この仏像を現地にお祀りするようにと勅命を下し、行基がお堂を建立しました。以来、水間寺が厄除け観音として広く信仰されるようになったといわれています。

水間寺の主な行事

千本餅つき

「千本餅つき」は「正月法会」(1月1~3日)の行事として例年1月2日と3日に行われています。この行事は、観世音菩薩を探している行基が先導した十六童子と共に、歌に合わせて木の棒で餅をつき、ご本尊をお供えしたことを由来としています。

 

節分法会

「節分法会」は、毎年2月2~4日まで開催されている行事です。住職による法話の後に、厄除け・招福開運を祈願し「景品付き利生銭入り餅・福豆まき」が行われます。餅まき・豆まきの前には、演芸を楽しめるなど毎年盛大に行われています。

 

旧初午法会

「旧初午法会」は、初午の日と前後を入れた3日間に行われる行事で、水間寺では伝統的に旧暦に合わせて開催されています。「正月法会」「節分法会」と合わせて、水間寺三大行事の一つに数えられています。

 

厄年の方には特にご利益があるといわれ、毎年多くの方がご祈祷を受けるために訪れます。旧暦初午の日には、ご祈祷を受けられた方に「利生銭入り餅」が授与されます。

水間寺へのアクセス

住所:大阪府貝塚市水間638

 

電車でのアクセス(おでかけは電車がおすすめ!):

南海本線「貝塚」駅から水間鉄道「水間観音」駅下車 徒歩約10分

 

車でのアクセス:

阪和自動車道「貝塚インターチェンジ」で下りて、すぐの信号を左折。次の信号を左折し直進。

 

駐車場情報:

無料駐車場あり(第一駐車場・第二駐車場)

水間寺の歴史を感じてみよう!

 

今回は、水間寺についてご紹介しました。厄除けだけでなく、縁結びなどのご利益があるといわれている水間寺では、季節ごとにさまざまな行事が行われています。今度のお休みは、水間寺に参拝して歴史や文化に触れてみませんか。

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