• 2024.04.01
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難波八阪神社とは?パワースポットやアクセス情報

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難波八阪神社は、スサノオノミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラミコノミコトを主祭神とする神社で、“獅子殿(ししでん)”と呼ばれる大きな獅子がいることでも有名です。本記事では、難波八阪神社の祭事やアクセス情報などをまとめました。

難波八阪神社とは

 

難波八阪神社は、大阪市の浪速区にある神社で、厄除け・疫病退散・縁結び・安産などにご利益があるといわれています。

 

中でも有名なのが、境内の正面に位置する大きな口を開けた獅子殿。獅子の大きな口が邪気を飲み込むと伝えられており、学業向上、就職内定や試験合格などを祈願する参拝者が多く訪れるスポットです。

 

難波八阪神社の創建年月日がわかる資料は存在していないそうですが、言い伝えによると、仁徳天皇(313~399年)の時代にまでさかのぼります。当時、この地域に疫病が流行した際に、これを治めるために神仏習合の神である牛頭天王(ごずてんのう)が現れ、お祀りをしたのがはじまりとされています。その後は難波下の宮(なんばしものみや)と呼ばれ、人々に親しまれるようになりました。

難波八阪神社の御祭神

難波八阪神社の御祭神は、スサノオノミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラミコノミコトの三柱です。

 

スサノオノミコト

アマテラスオオカミ、ツクヨミノミコトと合わせて“三貴神”として崇拝されている神様で、巨大な怪物ヤマタノオロチ(=ありとあらゆる災厄)を退治した物語が有名です。 厄除け・疫病退散・商売繁盛・農耕殖産のご利益があるといわれています。

 

クシイナダヒメノミコト

スサノオノミコトの御妃。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたのをスサノオノミコトに助けられ、結婚したという言い伝えがあります。 縁結び・夫婦円満・安産のご利益があるといわれています。

 

ヤハシラミコノミコト

スサノオノミコトとクシイナダヒメノミコトとの間に生まれた八神の御子神です。

大迫力のパワースポット、獅子殿

 

難波八阪神社の最大の見どころは、巨大な獅子頭をかたどった獅子殿です。高さ12m、幅11m、奥行き10mの大きさを誇り、神楽や獅子舞・居合道などの奉納の舞台としても利用されています。 古くからこの地は獅子舞が盛んな地域でもあったことから、魔除けの獅子として現在の本殿とともに建設されたのがはじまりです。

 

夏祭りや節分といった夜の行事やお正月の時期などには、境内の灯りのひとつとして獅子の目が光るのが見られるため、おでかけの際はぜひ注目してみてください。

難波八阪神社の祭事

綱引神事

スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治し民衆を救ったことを由来とする神事です。毎年1月の第3日曜日におこなわれており、 八頭八尾の大綱を大蛇の形に見立てて、その年の恵方に引き合います。その後、神前に祀って、病疫災厄(えきびょうさいやく)を祓い、海川山野の幸や人々の生業安定・家内安全・商売繁盛を祈ります。

 

起源は明確ではありませんが、江戸時代のさまざまな本に掲載されていることからも、相当古い時代からおこなわれていたことがわかります。

 

2001年には大阪市で初めての「無形民俗文化財」に指定されました。

 

夏祭・船渡御

毎年7月13日・14日に開催される、難波八阪神社の夏祭。神輿・地車・太鼓などが千日前・道頓堀・戎橋筋を巡行する、とても賑やかなお祭りです。 2日間にわたって獅子舞をはじめ、地車囃子などが奉納されるほか、餅まきなどのイベントもおこなわれます。

 

船渡御行事は、江戸時代に「天神祭」と並んで盛大におこなわれていたとされる神事です。江戸時代の中期以降に一度は途絶えたものの、2001年に氏子(氏神を信仰する人)と地元企業の協力によって約230年ぶりに復活し、船渡御保存会が結成されました。

 

現在では、およそ20隻の渡御船団(とぎょせんだん)が、湊町船着場から道頓堀川を、掛け声をあげながら進み、大阪・ミナミの夏を盛り上げます。

難波八阪神社へのアクセス

電車でのアクセス(おでかけは電車がおすすめ!):

南海本線・高野線「なんば」駅から徒歩約8分

 

車でのアクセス:

国道26号線元町3丁目北を西へすぐ

 

国内外の多くの人々から愛される神社

 

厄除け・疫病退散・縁結び・安産などのご神徳をいただくことができる難波八阪神社。地元の人はもちろん、国内外から多くの人が訪れる人気のパワースポットです。 難波の中心に近く、アクセスが良いのも魅力。おでかけのついでにふらりと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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