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【参加者募集】晩秋の南河内を歩きまくる
2024.11.22
山の形から名前がついた烏帽子形山。その中腹にある神社で、かつての烏帽子形城を鎮護するため創建したと伝わっています。厳かな静寂に包まれた本殿は、重要文化財。棟札の墨書によって室町時代、河内源氏の末裔とされる石川八郎が建立したことがわかっています。また江戸時代の初期、この地の領主で最後の烏帽子形城主といわれる旗本甲斐庄喜右衛門正保が、神社の修繕を行ったと記録されています。
写真左から
【2】【3】【5】烏帽子形城跡
標高約182mの烏帽子形山の頂上部に位置する中世の城跡。中世のお城は姫路城など近世のお城のように天守閣や石垣などはなく、土塁や空堀などで守られていました。それらの遺構が今も良好な形で残っています。その立地は自然地形を極めて巧妙に利用し、また高野街道を取り込む形で造られていました。自然を生かしたいにしえの土から成るお城を体感することができます。
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