古墳にはどんな種類がある?代表的な形状を紹介
「百舌鳥古墳群」は、堺市にある古墳群です。2019年(令和元年)には、大阪初の世界遺産に登録されました。今回は、仁徳天皇陵や履中天皇陵古墳、ニサンザイ古墳などの古墳やアクセスについてご紹介します。
百舌鳥古墳群は、世界3大墳墓の一つといわれる仁徳天皇陵古墳をはじめとする古墳群です。堺市のやや北に位置する日本を代表する古墳群で、現在は44基が残っていますが、かつては100基以上あったといわれています。
主な古墳には、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳があり、東側にいたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳、北側に反正天皇陵古墳があります。
百舌鳥エリアの中心にある、日本最大の巨大前方後円墳。墳丘長486m、中心部を取り囲む三重の濠を含めた全長は840mあり、大阪湾からの眺めを意識した場所に古墳が造られたといわれています。
江戸時代の史料には、後円部から大型の石棺が発見されたという記録が残っていますが、明治時代になると前方部でも竪穴式石室が発見されました。石室の中には、長持形石棺や金銅装の甲冑をはじめとする副葬品が納められていたことが確認されています。
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墳丘は全長約365m、後円部径205m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mと、日本で3番目の大きさを誇る前方後円墳。百舌鳥古墳群の中では、仁徳天皇陵古墳の次に大きな前方後円墳で、周囲には10基以上の陪塚(ばいちょう:大型古墳に隣接して造られた小型の古墳)を従えています。
陪塚の一つである七観山古墳は出土した史料などから、仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたことがわかっています。
墳丘長146m、後円部の高さ11.4mの前方後円墳。幅が広く、短い前方部の形状が特徴的な古墳です。墳丘からは、円筒埴輪のほか、堺市の文化財保護のシンボルにもなっている冑(かぶと)の埴輪をはじめとする形象埴輪が見つかっています。
1955年頃(昭和30年頃)には、宅地開発のため解体されそうになりましたが、市民中心の保存運動によって古墳が守られたというエピソードがあります。
百舌鳥本町にある前方後円墳です。2008年(平成20年)に行われた調査により、墳丘長約203m、後円部径約113m、前方部最大幅約136mであることがわかりました。
墳丘は3段になっていて、南側のくびれ部には造出し(円形や方形のテラスのような場所)があります。周囲には盾形の濠と堤がめぐらされています。
最近の調査で濠が二重であることがわかりましたが、主体部の構造や副葬品などのことはわかっていません。
百舌鳥エリアの南東の端に位置する巨大な前方後円墳。墳丘長約300mで、前方部は高さが25.9mあります。築造時は二重の周濠をもつ古墳であったといわれています。
近年行われた発掘調査の結果、後円部東側の濠の中から墳丘と堤をつなぐ大きな木橋の痕跡が見つかり、濠からは形象埴輪や木製の埴輪などが発見されました。さらに、墳丘に造られた平坦面からは隙間なく並べられた円筒埴輪、前方部と後円部をつなぐ造出しには須恵器の大甕(おおがめ)が見つかっています。
百舌鳥エリアの北にある前方後円墳。築造時期は5世紀前半で、後円部を北、前方部を南に向けて造られています。墳丘長148m、前方部の高さは14.8mで、築造時は二重の周濠をもつ古墳であったことがわかっています。古墳の外濠からは円筒埴輪、形象埴輪、須恵器などが出土しています。
住所:大阪府堺市堺区大仙町7
電車でのアクセス(おでかけは電車がおすすめ!):
高野線「三国ヶ丘」駅から徒歩約15分
高野線「堺東」駅から徒歩約25分
今回は、百舌鳥古墳群にあるさまざまな古墳について解説しました。国内最大の仁徳天皇陵古墳をはじめ、古墳時代を代表する古墳が数多くあります。今度の週末は、百舌鳥古墳群を散策して古代の息吹を感じてみませんか?