大仙公園の観光や見どころ・アクセス情報まとめ
3世紀中頃~7世紀にかけて築かれた「古墳」は、土を盛って造られたお墓。日本全国に築造された古墳の数は16万基以上ともいわれていますが、その種類は実にさまざまです。本記事では、古墳の代表的な形状をご紹介します。
まずは、「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」、「円墳(えんぷん)」、「方墳(ほうふん)」、「帆立貝形古墳(ほたてがいけいこふん)」の4種類について見ていきましょう。
「前方後円墳」とは、石棺を収める後部の円形に長方形(台形)の盛り土をつなぎ合わせた形状の古墳。上から見ると鍵穴の形をしています。
巨大古墳の多くが前方後円墳ですが、この形状は日本独自のもの。主に3世紀~7世紀頃にかけて数多く築造されていますが、なぜこのような形になったのかは解明されていません。
箸墓古墳
奈良県桜井市箸中にある古墳。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかと推測する学説もあります。
五色塚古墳
兵庫県神戸市垂水区五色山にある古墳。兵庫県では最大規模の古墳で、千壺古墳とも呼ばれています。
「円墳」とは、平面が円形をしている、古墳時代を代表する古墳。古墳時代を通じて築造された円墳は、全国各地で多く見られる形状です。その大きさは直径数メートルから数百メートルくらいまで幅広いものの、中型・小型のものが大半の割合を占めています。
丸墓山古墳
埼玉県行田市埼玉にある日本最大規模の円墳。前方後円墳が連続して造られた埼玉古墳群の中で最も標高が高い古墳です。
八幡山古墳
埼玉県行田市藤原町にある古墳。7世紀前半に造られた直径約80mの大型の円墳と推定されています。
「方墳」とは、墳丘の形が四角形の形状をしている古墳。円墳と同じく、方墳は古墳時代の全期間にわたり数多く築造されました。近畿地方では、大型の方墳が大王のお墓に採用された時期もあります。
山田高松古墳(推古天皇陵)
大阪府南河内郡太子町にある古墳。宮内庁により第33代推古天皇・竹田皇子(敏達天皇皇子)の合葬陵墓に治定されています。
春日向山古墳(用命天皇陵)
大阪府南河内郡太子町にある古墳。宮内庁により第31代用明天皇の陵に治定されています。
「帆立貝形古墳」とは、円墳に低く短い方形の張り出しが付いた形状の古墳。形が前方後円墳に似ていますが、前方部の張り出しが小さく小規模なのが帆立貝形古墳の特徴です。上から見たときの古墳全体の形状が帆立貝(ホタテ貝)のようであることから、帆立貝形古墳と呼ばれています。
三吉石塚古墳
奈良県北葛城郡広陵町三吉にある古墳。馬見古墳群を構成する古墳のひとつで、奈良県指定史跡に指定されています。
野毛大塚古墳
東京都世田谷区野毛にある古墳。上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群の中で、最大規模の古墳です。
次に、その他の主な古墳の形状を見ていきましょう。
前方後方墳
「前方後方墳」とは、方形と長方形(台形)の盛り土をつなぎ合わせた形状の古墳。古墳時代の前期にかけて造られたものが多く、5世紀後半以降はほとんど造られなくなりました。
双方中円墳
「双方中円墳」とは、円丘に長方形もしくは台形の2つの方丘をつなぎ合わせた形状の古墳。2つの方丘部分は、円丘と外部をつなぐ通路が発達したものと考えられています。
八角墳
「八角墳」とは、平面が八角形をした古墳。発見例は10基程度しかありませんが、古墳時代の終わり頃にかけて近畿地方で大王の墓に採用されたものもあります。
六角墳
「六角墳」とは、平面が六角形をした古墳。国内で現在確認されているのは「マルコ山古墳」と「塩野六角古墳」の2基のみ。
柄鏡式古墳
「柄鏡式古墳」とは、前方後円墳の中でも前方部が細く、くびれ部幅と前方部幅が変わらない形状の古墳を指します。前方部の高さは後円部よりもかなり低いのが特徴です。
双円墳
「双円墳」とは、2つの円墳をつなぎ合わせた形状の古墳。国内で確認されているのは「金山古墳」の1基のみ。
上円下方墳
「上円下方墳」とは、方墳の上に円墳を乗せた形状の古墳。古墳時代の終わり頃(7世紀前半~8世紀)に築かれ、国内で確認されているのは4基のみ。
長方形墳
「長方形墳」とは、平面が長方形の古墳。遺体を埋葬する部屋がいくつか設けられているケースが多いようです。
最後に、南海沿線の主な古墳をご紹介します。
5世紀中頃に15年以上をかけて築造されたと推定されている「仁徳天皇陵古墳」。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約34.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模を誇り、日本最大の前方後円墳として全国的に有名です。北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳とともに「百舌鳥耳原三陵」と呼ばれています。
DATA
住所:大阪府堺市堺区大仙町
アクセス:南海高野線「三国ヶ丘」駅から徒歩約15分
墳丘はその形や出土した埴輪から、5世紀中頃に造られたと考えられている「反正天皇陵古墳」。ニサンザイ古墳の1/3ほどの大きさで、天皇陵としては小さい規模ですが、理由はよくわかっていません。また、現在は一重の盾型周濠がめぐっていますが、周囲で行われた発掘調査で、かつて二重濠があったことが確認されています。
DATA
住所:大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
アクセス:南海高野線「三国ヶ丘」駅から徒歩約7分
日本で3番目に大きい前方後円墳の「履中天皇陵古墳」。仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に築かれたことがわかっています。左右対称のフォルムの美しさと景観の優美さを味わえるのが履中天皇陵古墳の魅力。夕日と墳墓と濠の水が織りなすコントラストは絶景です。
DATA
住所:大阪府堺市西区石津ヶ丘
アクセス:南海高野線「三国ヶ丘」駅から徒歩約26分
百舌鳥古墳群南東端にある「ニサンザイ古墳」は、5世紀後半に築かれたとされる前方後円墳。「ニサンザイ」という名称は「陵(みささぎ)」が語源と考えられています。百舌鳥古墳群の内、最後の巨大前方後円墳であり、前方部が大きく広がった姿が美しいと評判です。
DATA
住所:大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁
アクセス:南海高野線「中百舌鳥」駅から徒歩約25分
「旗塚古墳」は、百舌鳥夕雲町の大仙公園内にある帆立貝形古墳。くびれ部分にある造り出しが後円部にあるユニークな形状をしています。大仙公園内にあるため、そばまで近づいて観察できる古墳です。
DATA
住所:大阪府堺区百舌鳥夕雲町3丁(大仙公園内)
アクセス:南海高野線「三国ヶ丘」駅から徒歩約19分
「銅亀山古墳」は、百舌鳥古墳群にはたった5基しかない貴重な方墳で、仁徳天皇陵古墳の陪塚だといわれています。墳丘の一辺の長さが26mという手頃なサイズ感のため、観察しやすいでしょう。
DATA
住所:大阪府堺市堺区大仙町
アクセス:南海高野線「三国ヶ丘」駅から徒歩約18分
「源右衛門山古墳」は、三国ヶ丘駅のすぐ近くにある直径34mの円墳。閑静な住宅街の中にぽつんと佇んでいます。民家や建物に挟まれていますが、西側と北側の道路から柵越しに見学できます。
DATA
住所:大阪府堺市堺区向陵西町4丁
アクセス:南海高野線「三国ヶ丘」駅から徒歩約4分
「御廟表塚古墳」は、百舌鳥川北岸に位置する帆立貝形古墳。現在は、周濠の大半が埋められ、前方部が失われてしまっています。
DATA
住所:大阪府堺市北区中百舌鳥町4丁
アクセス:南海高野線「中百舌鳥」駅から徒歩約8分
今回は、古墳のさまざまな種類や代表的な形状について解説しました。まだまだ謎が多い古墳を目にすれば、古代のロマンを感じられることでしょう。ぜひ、南海沿線の古墳をめぐってみてください。
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