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旧堺燈台とは?歴史や周辺のスポット、アクセス情報まとめ

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旧堺燈台とは?歴史や周辺のスポット、アクセス情報まとめ

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「旧堺燈台」は、日本で最も古い洋式木造灯台の一つとして国指定史跡に指定されている、歴史ある建築物です。本記事では、灯台の歴史とアクセス、周辺のスポットをご紹介します。

旧堺燈台とは

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旧堺燈台は、明治10年(1877年)に堺旧港の南波止に建設された灯台です。高さは約12mで六角錘台の形をしているのが特徴。周辺の埋め立てが進み、灯台としての役割を終えた後は、堺のシンボルの一つとして保存されています。

 

現地に存在する日本最古の洋式木造灯台の一つとして国指定史跡となっており、周りには堺旧港や龍女神像などのスポットがあります。

旧堺燈台の歴史

旧堺燈台の建築にあたっては、堺の有力者による寄付と堺県(現在の大阪府南東部と奈良県)からの補助金により経費がまかなわれました。完成から約1世紀の間、大阪湾を照らしつづけましたが、昭和43年(1968年)にその役割を終えて灯りを消すことに。

 

近年になり老朽化が進んでいたため、平成13年(2001年)から平成18年(2006年)まで保存修理工事が行われ、当時の美しい姿がよみがえりました。

旧堺燈台はなぜ作られた?

ペリー来航によって日本が開国したのち、外国船が安全に航海できるように各地で灯台が建築されました。

 

堺からも設置希望を国へ願い出ましたが実現には至らず、建築費約2,125円と器械据付費約360円のうち、その大半を堺市中からの寄附金でまかなうことに。この寄附金は、同時期の港内波止増築に伴って集められたもので、建設費の約7割が市中から集まり、その剰余金があてられました。

 

建設にあたっては、土台の石積みを備前(岡山県)出身の石工・継国真吉が、建築工事は堺の大工・大眉佐太郎が携わっています。灯部のレンズはイギリス人技師のビグルストンによって設置されました。完成当初は灯油ランプが使われ、緑色の光がはるか沖まで届いていたそうです。

旧堺燈台周辺のスポット

堺旧港

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天然の良港であり、中世には海外貿易港として発展した堺港ですが、江戸時代に大和川が付け替えられたことで港に土砂がたまるようになり、徐々に衰退していきました。その後、江戸出身の商人・吉川俵右衛門などの働きかけで、修築されたのがいまの堺旧港の原型です。

 

現在では「堺旧港親水プロムナード」が整備され、歴史とロマンを感じる堺の水辺として、市民や訪れる人の憩いと交流の場となっています。

 

龍女神像

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明治36年(1903年)に開催された第5回内国勧業博覧会で、堺会場の大浜水族館前に設置されました。博覧会が終わると、大浜水族館とあわせて堺市が譲り受け、像は「乙姫さん」の愛称で平和と繁栄のシンボルとして親しまれていました。

 

現在の像は、堺市の市制110周年記念事業として復元されたもの。高さ16mもある石張りの台座に高さ10mのブロンズ製乙姫像が立っています。

旧堺燈台へのアクセス

住所:

大阪府堺市堺区大浜北町5丁地先

 

電車でのアクセス(おでかけは電車がおすすめ!):

南海本線「堺」駅から徒歩約15分

 

車でのアクセス:

阪神高速4号湾岸線「大浜出入口」よりすぐ

旧堺燈台で歴史を感じてみよう!

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今回は、旧堺燈台をご紹介しました。堺駅からも徒歩圏内なので、買い物やおでかけのついでにふらりと訪ねてみるのもおすすめです。明治期から続く歴史ある灯台を見ながら、堺のベイエリアを散策してみませんか。

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